狂乱のピアス熱

ピアス物語り


頑なわけではなかった。ただ、必要を感じなかった。
それで、私の耳にはずっと、ピアスの穴がないままだった。

私が最初にピアスを開けたいと思ったのは、ニューヨークの大学に通い始めた頃、
初めて入ったティファニーの本店の、ショーケースの中で輝く一粒ダイヤのピアスを目にした時だった。
宝石の類いにほとんど興味はないけれども、誕生石のダイヤモンドだけは別だった。
何よりも硬く傷付かない。
何ものにも汚されない凛とした強さ。
そのピアスが買えるかどうかなど考えもせずに、一粒ダイヤを耳たぶにつけたいと思った。

ほんの10日ほど帰国した時、逸る思いで「ピアスを開けたい」と両親に告げると、
母は賛成したけれども、父は目をひんむいて「そんなことはだめだ!」と大声を張り上げ、
私の一粒ダイヤの夢は消えた。

生きていれば誰にでも、小さな毎日の浮き沈みから、
人生を左右するような浮き沈みがあって当然のこと。
私は2000年に、何ものにも代えがたい程愛していた犬の病気を知り、
残された時間が思うより短いことを悟った。
単身、異国で暮す私にとって、その犬は犬ではなく、家族だったし、
私がはじめて一人で最初からずっと育てた、わが子のようなものだった。
私は日毎に、精神的に弱まり始めていた。

そして、愛犬は私の目の前で、私の腕の中で、深い眠りの中のままに、息を引き取った。
そう決めたのは、私だった。  ごめんね。ディノ。

2001年、2月のとても寒い土曜の午後のことだった。

私はそれからの日々をどうやって、一人で過ごしていたのか思い出せない。

友達や、大好きな人達に支えられ、励まされ、やっと生きていたような時に、
ツインタワーが崩れ去った。
愛する町で、愛するものを亡くし、そしてまた、愛するものを失う。
威風堂々たる貿易センタービルが、儚く崩れ去るのと同時に、
私の中も同じように、ばらばらになって、修復不可能なところまで到達した。

愚かな思いだとわかりつつも、
あの日、あのビルのあの階に、誰かの代わりに私がいればよかったのにと、
何度も思った。

いろいろなことがあった。
きっと、
いろいろなことがありすぎたのだろう。

--------

1月。
思い付いた次の日には、ピアスを開けに病院へ行った。
運が変わるのなら、変わって欲しい。
ただ、そう思った。

今、私の机の上には一粒ダイヤのピアスが箱に入ったまま置いてある。
時々ビロードのケースを開けては、その凛とした輝きを眺めるけれども、
まだ、それを耳につけるほど、私は強くない。
私はいつでも、背筋をピンと延して、
大きな歩幅でマンハッタンの赤信号を平気で走って渡る自分でいたい。
その時がきたら、私の耳に輝いても、私は負けない。


----------

私のお気に入りピアスコレクション(の一部…)
(特選!…画像数に制限あって全部は無理でした)


画像上にしばらくカーソルを乗せているとモノの説明が出ます。(出ないものもあるかも)

       

       

       

       

  



© Rakuten Group, Inc.